ヒロシマへの誓い
ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに the VOW from HIROSHIMA この映画について

ヒロシマへの誓いは、広島の原爆の熱烈な生存者であるサーロー節子の親密な肖像画です。1945年に原爆が投下されたとき(広島)、彼女は13歳でした。彼女の感動的な物語は、2代目の生存者であるミッチー・タケウチとの友情の 高まりのレンズを通して語られます。爆弾が投下された後、セツコは奇跡的に燃えるような建物から引き抜かれ、火刑に処された他の27人のクラスメートを生きたまま救うことができなかった。その経験は彼女の人生を永遠に形作り、彼女は彼女が彼女の友人にした誓約を守るよう努めましたー誰も同じ恐ろしい運命を二度と経験してはならないということです。この映画は、セツコが核兵器禁止条約の夢を最終的に達成する現在までの数十年にわたる活動を追っています。

the VOW from HIROSHIMA
サーロー節子

サーロー節子
広島市生まれ。広島女学院高等女学校在学中に、学徒動員先にて被爆。広島女学院大学卒業後、1954年にアメリカのリンチバーグ大学に留学。カナダ人のジム・サーローと結婚して、カナダのトロントに移住する。1965年より、トロントにてソーシャルワーカーとして活躍し、カナダ最高の名誉であるカナダ勲章を受章した。世界各地にて英語での被爆証言活動を続け、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の発足当時より、ICAN代表して、国連や国際会議にて、被爆者としての体験を語り、多くの人に影響を与えた。今もその活動は続いている。2017年12月のICANのノーベル平和賞授賞式では受賞演説を行った。

スーザン・ストリックラー

スーザン・ストリックラー
監督・プロデューサー
「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」の監督兼プロデューサーであるスーザン・ストリックラーは、ネットワークメロドラマの監督兼プロデューサーとして成功を収めています。彼女は22年間のキャリアの中で、ザ・ヤング・アンド・ザ・レストレス、ガイディング・ライト、アナザー・ワールドなどの番組で750時間以上のエピソードを監督し、デイタイム・エミー賞と全米監督協会賞の両方を受賞しています。クエーカー教徒およびフェミニストとして、スーザンはセツコの感動的な物語をできるだけ多くの人に届けることに情熱を注いでいます。

竹内道

MITCHIE TAKEUCHI
竹内 道

ライター、プロデューサー
「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」のクリエーター兼プロデューサーであるMitchie Takeuchi は、広島出身で現在はニューヨーク市に住んでいます。日中彼女はメディアビジネスコンサルタントです。彼女はまた、国連のNGOであるYouth Arts New York / Hibakusha Stories のフェローであり、2017年のノーベル平和賞受賞者であるICANのメンバー組織でもあります。ICAN のベアトリス・フィン所長とともに、節子は組織を代表して講演を行い、賞を受け取りました。このプロジェクトに影響を与えたのは、ミッチーとセツコの関係です。ミッチーの祖父である広島赤十字病院の創立院長である竹内釼博士と母親のタカコは、8月6日に原爆を生き延び、ミッチーは2代目の生存者となった。10代の頃、彼女は世界友好センターの所長であるレオナ・ロウを支援することを志願し、1977年にNHKから出版された反核の古典的な忘れられない火:原爆被爆者による絵を翻訳するグループプロジェクトを共同で作成しました。

ジャド・ブライズ

ジャド・ブライズ
共同プロデューサー / 編集者
ジャド・ブライズは、ドキュメンタリーとコマーシャル両方の分野で編集者として長年の経験があります。最近のクレジットには、ロードアイランド映画祭で受賞した短いドキュメンタリー、JOHN HEMMER AND THE SHOWGIRLS(dir. Kirsten Larvick)が含まれます。テレビ編集のクレジットには、シリーズINDIESEXとIN THE LIFEのエピソード、NatGeo Wild、Investigation Discovery、Hallmark Channelなどのネットワークプロモーションが含まれます。彼はまた、GI JEWS:JEWISH AMERICAN IN THE WAR Ⅱ、32PILLS:MY SISTER’S SUICIDE、THIS IS HOME、KINGS POINTなどのドキュメンタリーのポストプロダクションチームやAMERICANEXPERIENCEのいくつかのエピソードにさまざまな役割を果たしてきました。

ヒロシマへの誓い 写真
ヒロシマへの誓い
- サーロー節子と共に -

プレス資料

解説

13才の時に広島で被爆し、300数名もの学友を瞬時に亡くしたサーロー節子。後にカナダ人と結婚しトロントに移住した彼女が全世界に向けて平和活動家を続ける姿を4年間に渡って密着取材し完成させたドキュメンタリーが本作品である。

映画はサーローの原点を探る旅である。ナレーターとして水先案内人となるのは、ニューヨークに40年以上在住する竹内道。ニューヨーク市内の高校で、被爆体験を学生たちに語る活動を行っていたサーローに偶然出会い、二人が広島女学院高校の先輩、後輩であることを知った竹内はサーローの人生をドキュメンタリーで描くことを決意。インタビューを重ねるうちに長年海外に在住する日本人女性同士の絆が生まれていく。節子に励まされて、道は自分の家族の被爆の歴史に目を向け始め、祖父や母の語らなかった体験を少しずつ発見し被爆二世としての自身を見つめなおしていく。

撮影は、原爆投下から70年が経った2015年、ニューヨーク国連本部におけるNPT(核不拡散条約)会議の会場から開始された。その後、広島、トロント、オスロとサーローの活動の場を追ってカメラは世界を駆け巡る。その年は被爆70周年にあたりサーロー節子が個人としてノーベル平和賞にノミネートされた年でもあったのだ。

そして、2017年12月、遂にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞。凍るように寒いオスロでの授賞式には、ICANの一人として、そして何十万の被爆者の声を代表して受賞スピーチを行い一語一語力強く訴えかける節子の姿があった。節子の選ぶ一つ一つの言葉には、命を失った最愛の家族や級友達への誓いが込められていた。




サーロー節子からの言葉

このドキュメンタリーを日本の多くの人に見てもらいたいと願っています。75年前、一発の原子爆弾の投下によって地獄と化した広島で生き残った13才だった私。同じ体験を2度と誰にもさせてはならない!という熱い思いで、被爆体験と願いを声高く世界中の人たちに伝えてきました。これは、原爆によって命を落とした、私たちが愛する人達へささげた誓いです。





スタッフ・キャスト


サーロー節子

広島市生まれ。広島女学院高等女学校在学中に、学徒動員先にて被爆。 広島女学院大学卒業後、1954年にアメリカのリンチバーグ大学に留学。 カナダ人のジム・サーローと結婚して、カナダのトロントに移住する。 1965年より、トロントにてソーシャルワーカーとして活躍し、カナダで最高の名誉であるカナダ勲章を受章した。 世界各地にて英語での被爆証言活動を続け、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーンン)の発足当時より、ICANを代表して、国連や国政会議にて、被爆者としての体験を語り、多くの人に影響を与えた。 今もその活動は続いている。 2017年12月のICANのノーベル平和賞授賞式では、受賞演説を行った。



スーザン・ストリックラー
監督・プロデューサー

アメリカのネットワーク・テレビにて、ドラマのプロデューサー、そして、監督を長年つとめてきたベテラン。アメリカ監督賞(DGA)また、デイタイム・エミー賞を受賞。今回は彼女の初めてのドキュメンタリー映画である。サーロー節子とは、国連NGOのプログラム、ヒバクシャ・ストーリーズにて出会った。ニューヨーク在住。



竹内 道
プロデューサー

千葉市生まれ。広島女学院高校卒業後、心理学を勉強するために、渡米、ワグナー大学心理学部卒業後。当時の電通アメリカ(DCA)に入社。 1988年、ニューヨーク大学ギャラティン大学院在学中に、アークメディア(Arc Media, Inc.)を設立し、アメリカ市場における日本企業の事業の立ち上げをメディア、マーケティングの分野にて長年支援してきた。2010年4月より、ニューヨーク市にある国連NGO,Youth Arts New Yorkに参加。 祖父竹内釼は広島日赤病院初代院長時に被爆。 母竹内孝子は入市被爆をした。



ジャッド・ブレーズ
編集

ドキュメンタリーとコマーシャル両方の分野で長年編集を手掛ける。最近の作品には、ロードアイランド映画祭で賞を受賞した短編ドキュメンタリー、JOHN HEMMER AND THE SHOWGIRLS(Kirsten Larvick監督)がある。編集を手掛けたテレビ番組は、INDIE SEXシリーズおよびIN THE LIFEのエピソード、NatGeo Wild、Investigation Discovery、Hallmark Channelなどのネットワークのプロモーションがある。





ドキュメンタリーに登場する人々(敬称略)

キャスリーン・サリバン、ヒバクシャ・ストーリーズ
キャスリーン・ラワンド、赤十字国際委員会
竹内 孝子、竹内 道の母
竹内 釼(けん)、竹内 道の祖父
アンドリュー・サーロー、サーロー節子の息子
ジョー・ミヘヴク、オンタリオ州オンタリオ市市議
エリック・シュローサー、「核は暴走する」著者
ヨハネ・パウロ2世
ヨセフィン・リンド、スウェーデン反核医師の会
アイラ・ヘルファンド、核戦争防止国際医師会議
ベアトリス・フィン、ICAN
レイ・アチソン、婦人国際平和自由連盟
ティム・ライト、ICAN
今中 亘(わたる)、中国新聞社元社長
川崎 哲(あきら)、ピースボート
スティーヴ・リーパー、ピースカルチャービレッジ
ミヒャエル・リンハルト、オーストリア外務事務次官
テボゴ・セオコロ、南アフリカ大使
スージー・スナイダー、"核兵器にお金を貸すな"
木村 徳子、長崎の被爆者・活動家





コメント

"原子爆弾の投下がもたらした悲惨さについて知識を持っていると思っていたが、このドキュメンタリーを見て、新たな事実を知った。そしてサーロー節子の声を聞き、姿を見て心を動かされた。彼女の一生をかけた平和を実現するための献身的な活動には目を見張る。ドキュメンタリーは数多く見てきたが、「ヒロシマへの誓い」ほど心を打たれた作品は少ない。"
 アン ノースロープ
 ジャーナリスト/活動家


" サーロー節子は何十年間も核兵器禁止のために働き続けてきた真のヒーローだ。このドキュメンタリー映画は彼女の生き方を親密に描いている。ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されて以来、核兵器の脅威がリアリティとなっている今、この映画はタイムリーに核兵器を廃絶することの意味を訴えかけている。"
 エリック シュローサ―
 ジャーナリスト/作家



映画祭
・オーハイ・ドキュメンタリー映画祭(2019年)観客賞受賞
・セパストポル・ドキュメンタリ映画祭(2020年)出品





2020年 / アメリカ映画 / 82分 / 配給:3DAP Japan / 「ヒロシマへの誓い」配給委員会
©2019 Not Just a Survivor Film, LLC
ヒロシマへの誓い セーロー節子
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